rund’s blog

身軽に生きる。

いじめと交通事故はなくならない。

恥ずかしい話ですが、私は姑と仲良くありません。

 

人生で初めての「不快な人」であります

最初から嫌だったわけではありません。

徐々に私の心を蝕んでいった感じです。

 

常識もなければ挨拶もできないから、私が叩き直すから覚悟しろと人前で言ったり、

お墓参りに行きたいといえば、宗教きちがいと言いふらされたり、

あなた女芸人の○○に似てるから不細工ねと大笑いされたり。(この女芸人さんは私はきれいだと思いますし、おしゃれで大好きです。不細工と言いたいがための理由付けでした。)

 

子供が産まれてからはコントロールしようとそれはそれは酷かったです。

 

うちの息子たちは全然(ダメ)に育ったから孫は私の手で育てる、と豪語し、

病院は面会時間最初から最後まで一緒に居られ、産後一か月間は毎日うちに来ては

私の知らない来客を毎日連れてきて、偉そうなことをいう。

そして、寝ることもままならなかった私は、二か月目にストレスが原因のめまいで救急車に運ばれました。

 

これはほんの一部です。

 

私はとても傷つきました。

悪意がない、他意はない、それって他人への推測能力がない、思いやりがないと同じことです。

 

自分しか自分を守ってあげられない。

自分で自分を評価すればいい。

嫌なら逃げよう。

そして、毅然と無視をしました。

本当にそこにいないように相手のことを無視する。

それは外でばったり会おうと、法事や何かの集まりがあるときであろうとどんなときでもそれはそれは徹底的に無視を決め込む。

 

私の一貫した態度でした。

最初はギャーギャー、言ってきましたが相手にせず、無視しました。

 

これを過ぎたら、もう暴言を吐かれなくなりました。

関わらないので嫌がらせも受けなくなりました。

 

今はあえば挨拶をしますが、もう私から話しかけることもないし、会話というものはいつからか全くしていません。

 

人はやられたことは覚えています。

やったことはほぼ記憶から抜かれています。

 

やった方は迂闊なんです。

つい、うっかり、(やってしまった)、なんです。

だから悪気はないと言えるんです。

 

 

自分の正義を振りかざす人がよくいます。

その正義は自分のエゴではないですか?

常識とは環境によって異なります。

マナーとモラルが守られていればいいのではないかと思えませんか?

 

自分はいい人。そう思っている人ほど悪をまき散らしていることに気づかないのです。

 

嫌な人からは逃げる。

困難に立ち向かうことは人生の修行だとか、カルマだとか、我慢が美徳なんて嘘です。

わたしもあなたも大事な大事な「ジブン」です。

ボク・ワタシをどうかどうか大切に扱ってほしい。